小林覚の造形表現は新たな“であい”を生み出し社会を繋げる。「聴く美術館#13」

福祉実験カンパニー・ヘラルボニーの契約アーティストにフォーカスするポッドキャスト「HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜」。

俳優・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥(たかや)が聞き手となり、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄や、これまでの人生に触れていきます。

今回ご紹介する小林覚(こばやし・さとる)は、文字と文字をすべて繋げて書く異彩作家。覚さんの強烈なこだわりが独創的な造形表現に進化する過程には、ご両親の献身的なサポートがありました。ヘラルボニーを初期から支えてくれている覚さんの、これまでとこれから。造形表現を通じて新たなであいを生み出す、その物語を振り返ります。

# 確定申告する異彩作家

崇弥:今日ご登場いただくのは、ヘラルボニーの人気作家の一人、小林覚さんです。ヘラルボニーをよく知る方が聞いたら「レジェンド登場!」みたいになるんじゃないかと思いますが、本日はなんと六本木のこのスタジオに、ご両親とともにお越しいただいております!

小川:すごい!岩手県花巻市からはるばる来てくださいましたね。それでは覚さん、お母様の眞喜子さん、お父様の俊輔さんです!よろしくお願いします。

眞喜子さん・俊輔さん:よろしくお願いします。

崇弥:覚さん、今日はよろしくおねがいします。こちらのマイクに向かって、いかがですか?

覚さん:本日は、よろしくお願いします。

崇弥:ありがとうございます。

小川:小林さんはるんびにい美術館に在籍されているんですよね?

崇弥:そうなんです。岩手県の花巻市にあるんですが、私自身が会社を起業するまえに25歳くらいのころですかね。「花巻にるんびにい苑ってすごいところがあるんだよ」と母から聞いて行ってみたんです。そしたら小林さんの作品がどぉんとあって。あ、いままさにここでも覚さんが空中で文字を書いていますね。字と字を繋げてしまうという強烈なこだわりのある作家さんです。

小川:今手元に作品がありますが、文字が繋がって形を作りながら絵のようになったり、不思議な見ごたえがありますね。

Satoru Kobayashi「夏の魔物」

崇弥:ほんとですよね。ということで、さっそくご両親に作品が生まれるまでのお話を伺いたいと思います。

眞喜子さん:幼稚園のころからアンパンマンが好きで、上手に描いていました。絵も字も、ごく普通だったんです。今のスタイルになったのは、高等部の時からです。

崇弥:そうだったんですか。そこからどんなふうに変わっていったんですか?

俊輔さん:高等部の指導の先生が書道が好きで、それまで覚は数字とアルファベットしか書いてなかったんですが、漢字を書いてみたらどうだろうと。それがきっかけ、はじまりなんです。

崇弥:字と字を繋げてしまうことについて、はじめは先生方もやめさせたほうがいいのではという動きも少しあったとるんびにい苑の板垣さんからちらっと伺ったのですが。そういうこともあったんですか?

俊輔さん:はじめは繋げて書いてなかったんですよ。漢字を書き始めてあるときに学校から紙を持ってきて小林の「林」を縦に木を2つ並べて書いていて。「え、これはだめだろ」ってまずは思ったんです(笑)。どうにかしなきゃなと思っていたところからどんどん(字が)変わって行って。でもそれが序章、ほんの始まりでしかなかったんですね。

崇弥:それが始まりかぁ。

小川:自分の名前から変わっていったんですね。

崇弥:覚さん。高等部のときの先生のお名前って覚えていますか?立花先生って。

覚さん:立花先生、覚えてます。

崇弥:人生の転機を与えてくれたのが、立花先生だったんですね。

小川:文字がつながって今のアートになるまでには、どんな変遷があったんでしょうか?

俊輔さん:高等部の学習発表会で『生きる』という演劇をしたんですが、横書きで「生」と「き」と「る」それぞれの文字が手を繋いでいるように見えるように書いたのが、文字を繋げて書いた一番最初でした。「みんなで手を繋いで生きていこう」というテーマの作品で「生きる」のテーマの文字が繋がっていたんです。あ、これは画集にも少し書いています。

小川:そうだ、今日は覚さんの画集も持ってきていただいたんです。『微笑みの国』という素敵なタイトルですね。こちらは作られたんですか?

俊輔さん:きっかけは佐藤卓郎さんという編集者の方でして、覚が中学生のとき絵を指導してくれた先生なんですよ。その佐藤さんがすごく作品に惚れ込んでくださっていたんです。10年くらい、盛岡とか花巻とか、各地で個展も開いてくださって、その集大成として画集を出したいという話が先生からあったんです。

俊輔さん:だけども私は素人の絵を誰が評価するんだろう、誰が買うんだろうと疑問に思って、知らんぷりしていたんですよ。

小川:えぇ!

俊輔さん:でも「お金のかけようだったらどうにでもなるから、どうにか作らせてくれないか」と言われて、根負けしてしまって「じゃあしょうがない、今までお世話になった方に配ろう」という気持ちで作ったのがきっかけでした。

崇弥:今や覚さんは画集も出しますし、確定申告もする作家さんですからね。

小川:大人気。

崇弥:今日、よかったらそんな覚さんにサインをもらいたいなと僕、思っていて。覚さん、サインをいただいてもいいですか?

覚さん:(小さな声で)いいですよ。

崇弥:じゃあこの『微笑みの国』に。いいですか?

覚さん:たかやさんの名前を?

崇弥:じゃあ紗良さんからどうぞ。

小川:では「紗良」でお願いします。

俊輔さん:漢字で書いてもらうといいと思います。ひらがなだけだとシンプルだから。

崇弥:ありがたいなぁ。小林先生に書いてもらえるなんて。ありがとうございます。もうね、東京の百貨店でサイン会開催しますなんて言ったら長蛇の列になるんじゃないかな。

小川:今、自分の名前の紗良を書いてもらっています。

崇弥:やってやるかという顔をしてますね。

(ペンのキュッとこすれる音。紗良さんの名前を書いている)

小川:すごい!こんなふうに私の漢字が!

(小林さんのサインを横に書いている)

覚さん:日曜日……。ちょっと。

小川:あ、これ「良」だ。

崇弥:おぉ。

(覚さん、自分のサインを書いている)

小川:見とれちゃうな。

崇弥:素敵。

(覚さん、完成)

小川:かっこいい〜!嬉しい。ありがとうございます、覚さん!

覚さん:(空中に文字を書きながら)ありがとう、ございました!

崇弥:じゃあ僕は娘の名前をいいですか? 

(覚さん、ふたたび画集にサインを)

小川:あ、いま「松」の部分だ。

崇弥:これ、ご両親はどこを書いているのか全部わかるんですって。

俊輔さん:順番に書いているので見ているとわかるんですね。でも、書いたあとに見るともう(わからない)。

眞喜子さん:だからサイン会のときは横で私たちが説明しています。

小川:それはファンの方もうれしいですね!

崇弥:今私が来ているこのシャツに書かれているのは、スピッツの『夏の魔物』って曲の歌詞なんですよ。

小川:え!そうなんだ!

崇弥:「僕を見下ろして少し笑った  生温い風にたなびく白いシーツ 魚もいないドブ川超えて」って歌詞が隠れてるんですよ。ちょっとね、僕から見るとわかんなくなっちゃってるんだけど(笑)。

小川:すごいな。

崇弥:覚さんは音楽がものすごくお好きで。ビリー・ジョエルとかQueenとか井上陽水とかを、爆音で聞いてらっしゃるんです。これ以上音量をあげないように、ラジカセがガムテープでガチガチにとめられているんだって(笑)。耳悪くしないように。

小川:いつかはアーティストのコラボとかも。

崇弥:あると思います!CDジャケットとか、私としてはやってほしいですね。

覚さん:(サインを書きながら)日曜日。

小川:曲の世界がこんな形になるなんてアーティストの方も嬉しいですよね。(覚さんの手元を見て)あ、日曜日の「日」がたくさん登場していますね。完成ですか? 

小川:素敵!

俊輔さん:字を書いてるって感覚はないのかもしれないですね。

覚さん:ピンクにする? ピンクにする?

崇弥:ありがとうございます。ピンクのペンで書いてくださるんですか? 覚さんは職人なので、仕事をしているという感覚があるのではと見ていて思います。何回もイベントをご一緒していると、自分が求められていることを全うされていて。この前も、イベントが終わった瞬間にお手洗いへばぁーっと走って消えていかれて。あの姿は鮮烈な印象でしたね!

俊輔さん:あれね(笑)!

覚さん:(なにか小声で眞喜子さんに話しかけている)

眞喜子さん:あとで!

覚さん:ジュースかな? 缶コーヒー? ジュースか? 缶コーヒー?

崇弥:あ、缶コーヒー! じゃあうちのスタッフが缶コーヒーを買ってきますのでね! 覚さんはちょっと甘めの缶コーヒーがお好きなんですよね。お母様お父様にもお聞きしたいんですが、僕が覚さんと出会ったのって6年半前くらいでしたね。まだヘラルボニーができる前でした。それ以前も覚さんの作品は素晴らしかったですが、その出会いからも覚さんの人生って変わっていったのかなと思うのですがいかがでしょうか? 岩手だと、町で声もかけられることもあるんじゃないでしょうか?

俊輔:そうですね。

小川:へぇ!

崇弥:覚さんは岩手のテレビでもたくさん取り上げられているんです。

眞喜子さん:このあいだも、買い物していたら「テレビで見た」と声をかけていただきました。「頑張ってね」って言ってもらって、嬉しかったです。

崇弥:あ、いまコーヒーが届きました。あぁ!

(覚さん、ものすごい勢いで缶コーヒーを飲み干す)

小川:3秒くらいで! 

崇弥:もう1本いりますか、先生!

眞喜子さん:いえいえ、キリがないので(笑)

崇弥:そっか(笑)。いや、でも話しかけられますよね?

眞喜子さん:いろんなところで話しかけてもらいます。小さいときは絵を描くときとごはんを食べるときしか座っていない、すごく育てるのが大変な子だったので。今はこのようになって、信じられないです。今が一番、幸せです。

小川:大変なこともいろいろあったと思うんですが……

(覚さん、げっぷ)

崇弥:いいげっぷ。大事大事(笑)。

小川:いい飲みっぷりでしたからね!

# 4月20日の出来事

小川:お母様が 一緒にいままで過ごされていて印象に残っている出来事はありますか?

眞喜子さん:この子が小さいころは夫は仕事漬けで、二人で過ごすことが多かったんです。ある夜に目を覚ましたら隣に覚がいなくて、家中慌てて探し回っていたら、パジャマ姿の覚が外から入ってきました。真冬だったので、もう、全身氷のように冷たくって。夜中に抜け出したのはその1回きりでしたが、小さい頃はよくいなくなる子でしょっちゅう探していました。

小川:そうなんですね。夜中に抜け出したのは何歳ぐらいのときだったんですか?

眞喜子さん:小学校4、5年生くらいでしたね。今はだいぶ落ち着きました。

小川:なるほど。絵は小さいころからずっと描いていたんですか?

眞喜子さん:アンパンマンを描いていましたね。

小川:はじめはキャラクターを描いていたんですね。

眞喜子さん:小学校は近くの普通の学校に通っていて、でも宿題はできないので毎日絵日記を描かせて提出していました。私が裏に解説を書いて。

小川:お母様とのコンビネーションで書いていたんですね。

眞喜子さん:はい。小学校1年生から高校3年生まで毎日書かせていました。

崇弥:見てみたいですね。当時の絵日記も。

眞喜子さん:ある日、絵日記を見ていたら、覚はちゃんと楽しかったことや興味があることを描いているのに気づいたんです。そこからはいろんな場所に連れて行って、覚が喜んだものや、目が輝いたものがあったら、絵日記以外にも描かせたりしました。

小川:なるほど。画集にも絵日記が紹介されていますね。

崇弥:こうやってみると、当時の絵にもいまの作風の原型がありますね。この「ひまわりとじょうろ」とかなんかも。 

小川:ひまわりの生え方なんかも、そうですね。

眞喜子さん:これを見て先生が才能があるんじゃないかと言ってくださって。

(覚さん、崇弥さんに絵の説明をしている)

崇弥:じょうろから水が流れているんだそうです。 

小川:ほんとだ!素敵。いろいろな選択肢があるなか、地元の小学校に通うことにしたのには何か理由があったんでしょうか?

眞喜子さん:私が運転ができないもので、特別支援学校まで通わせられなかったんです。そこで無理に頼み込んで地元の小学校に通わせてもらっていたんですが、2年生のときに転校せざるを得なくなってしまいましたので、免許をとって、特別支援学校に通わせました。 

小川:そうだったんですね。転校するしかなかったというのはどういう状況だったんですか?

眞喜子さん:同級生の親御さんたちが「覚と一緒にうちの子を勉強させたくない」って。PTAの保護者の話し合いのときに「こういうことをするから一緒に勉強させたくない」って。その時に担任の先生がかばってくれたらよかったんですが「はい、次のおかあさんどうぞ」と。小さなクラスで8人しか同級生がいなかったのですが、全員に好きなように言われてしまって。そのときに手の甲からだらぁっと汗が吹き出してきたのを、今でも忘れられないです。4月20日でした。

小川:なんというか……。少人数のクラスだからこそ一緒に過ごす道を探せなかったのかなって。

眞喜子さん:1年生のときには担任の先生が抑えてくれていたんですが、2年生に上がってからそれができなくなってしまったんですよね。その日を境に通えなくなり、半年後に特別支援学級のある学校に転校しました。 

(覚さん、何かをつぶやきながら空中に文字を書いている)

小川:でも転校するっていっても免許を取らないと行けないですし。時間もお金も相当かかりますよね。

眞喜子さん:釜石市でも一二を争う悪い道を。

俊輔さん:細い道路で……。

眞喜子さん:私が走ってくると、向こう側の車が全部止まるんですよ。

崇弥:あまりにも細すぎて。

眞喜子さん:そう。「奥さん通っていいよ、落ちたら大変だから」って。

小川:お母様も本当に苦労されていたんですね。

眞喜子さん:でも、4年生のときの特別支援学級の先生が絵日記を褒めてくれたんです。「これは楽しい。素晴らしいから続けてほしい」って。その言葉で、高校3年生まで続けられたと思っています。覚もそこから常に鉛筆を持っていて、手が真っ黒になるまで書いていて。だから今でも手がしっかり発達していて、どんなに書いても疲れないんです。

小川:もう鍛えられているんですね。

崇弥:今もね、ずーっと空中の文字を書かれていますね。

小川:空中に書いているのも、覚さんなりの文字なんですかね?

俊輔さん:これはね、普通のひらがななんです。

小川:え、そうなんですか?

俊輔さん:適当に書いてるんだと思ってたんですが、あるとき後ろから見てみたら、自分が喋っている言葉を空中で指文字で書いていたっていう。

小川:へぇ。紙に書く文字とはまた別物なんですね。お父様も覚さんとの思い出で印象深いことはありますか?

俊輔さん:こういう場所やサイン会を、仕事だと認識し始めてきていると思います。昔は多動障害で落ち着きがなくて、じっと座ることができなかったんです。今では2時間、3時間とサイン会でも書きっぱなしでいられます。この間も当時の先生に「覚くん、成長したな」と言われたんです。

小川:2時間サインし続けるって、大変だと思います。プロですよ。覚さんは絵をいろんな人に見てもらってどうですか?

覚さん:どうでさっ!

崇弥:あはは。覚さん、絵を描くのは好きですか?

覚さん:絵を描くのは、コーヒーは覚くんが好きっ!

崇弥:コーヒーも好きだと。いいですね! 私は覚さん自身の人生が豊かになればいいなと思うので、ヘラルボニーとしては忙しくなりすぎないように気をつけないとと思っています(笑)。人気がすごいので、あまりにもたくさんお仕事をお願いしてしまっているなと。

小川:覚さんは日常でもずっと描いているんですか?

俊輔さん:普段は描いていないんです。

眞喜子さん:高校3年生までは毎日、広告の裏にも描いていたんですが、最近は落ち着いています。

小川:へぇ。かわりに好きなことや、いつもやっていることはありますか?

眞喜子さん:音楽が好きです。

崇弥:音楽 !お好きですよねぇ。そうだ、覚さんは学校でも授業をやっているんですよね?

覚さん:学校で、授業をやっているんです!

崇弥:覚さんはいろんな岩手県の学校に行って、学生さんの前で覚さんの人生とともに描いているところを見てもらうという授業をしているんですよね。

小川:実際に見られる機会があるんですね。

崇弥:最初は「障害がある人」という見られ方をされるんですが、授業の最後には「覚くんて人はすごいんだな!」という尊敬に変わっていくという。そういう意味では、障害福祉と尊敬って一番遠いところだったけれども、覚さんが尊敬を身近に作っているなと思いますね。 

小川:「であい授業」というものなんですね。それは絵を描くのが好きな中学生の皆さんにとっても刺激になりそうですね。

俊輔さん:「であい授業」は障害のある人を知ってもらうことで、他人を思いやる心を育てるという目的で始められたそうです。なので覚は授業で何かを教えるのではなく、ただこうしているのを見てもらいます。あとは来られた方のお名前を覚が書いて差し上げたり。覚という人間を知ってもらうという授業なんですね。

小川:本当に良い授業ですね。ところで覚さん、空中に言葉を書きながらたびたび崇弥さんに「背中かいて」って頼んで、崇弥さんがひたすら背中をかいてあげていますね(笑)。

崇弥:いつも会うとね、覚さんの背中をかくのが私の役割になっていますね(笑)。トントンって呼ばれて「崇弥さん、背中かいて!」って。双子の兄の文登も頼まれてる。巨匠の背中をかかせてもらうなんて、ありがたいことですよ。

小川:背中をかいてもらうのが好きなんですか?

眞喜子さん:いや、誰にも彼にも頼むわけじゃないんですよ。優しそうな人をちゃんと選んでて。

崇弥:光栄です。

俊輔さん:それで気持ちを落ち着かせているっていうのもあると思います。

小川:へぇ!おうちでもそうなんですか?

俊輔さん:いや全然!家では私たちに背中をかけっていうのは全くないんです。

小川:そうか、おうちではリラックスしているから。外に出たときに、誰かにかいてもらうんですね。

俊輔さん:そう。

崇弥:昔からずっとそうですよね。

# 創作が切り拓く未来

Satoru Kobayashi「数字」

小川:覚さんと崇弥さんは長い付き合いだと聞きましたが、こうやって覚さんの絵がヘラルボニーのプロダクトになって何か変わりましたか?

俊輔さん:めちゃくちゃ世界が広がっていますよね。

小川:それはどんなふうに?

俊輔さん:松田さんたちが活動している広がりが、そのまま覚の世界の広がりになっているところがあって、すごいなと思います。

小川:今日は崇弥さんが覚さんの作品がプリントされた洋服を着ていますね。

崇弥:そうなんです。2023年7月26日から異彩の百貨店という大規模な展覧会兼ポップアップショップが開催されるんですけども、そこで覚さんのTシャツだったりワンピースだったりスカートだったりが一気に販売されます。覚さん、よろしくお願いします!

※ポップアップ「異彩の百貨店」は現在終了しています

覚さん:これ覚くんの?

崇弥:そう。覚くんのシャツとかワンピースが販売されます! よろしくお願いします!

覚さん:覚くんの、よろしく、おねがい、します!

小川:よろしくお願いします! 今回レディースのシャツやワンピースもあるんですが、すごく素敵! 楽しみですね。

崇弥:本当に。

眞喜子さん:覚の作品を使っていただいて光栄です。

崇弥:いやいやいや、むしろこちらが依存してしまっているくらいです。覚さんに、うちの社員も食べさせていただいています。でも、本当にお体に無理のない範囲で! これからもお願いできたら嬉しいです。

小川:今日は普段のお話や絵のお話を伺っただけでなく、さらに素敵な画集にサインまでいただきました。本当にありがとうございました。

崇弥:ありがとうございます。そうだ、今日お聞きしたかったのが、お父さんお母さんから見て、覚さんは今後どうなってほしいか、どういったものに作品が展開されたら素敵だなとか、ありますか?

眞喜子さん:まだ、私たちがすっかり年取ってしまってからのことはまだ考えていないんです。ただ、覚のような子が自立できる環境ができればいいなというのは思っています。活動に関しては先日釜石でワークショップをしたんですが、ああいった活動ができればと思っています。

崇弥:お父さんはどうですか?

俊輔さん:さっき妻が話した通り、私たちがいなくなったあとも自立できる社会ができればいいなというのが願いです。覚がどうこうじゃなくて、障害のある人が安心して暮らせる社会になってくれればいいなというのが願いですね。

小川:そうですね。覚さんのアートが少しずつその道を切り拓いていっているんだろうな感じます。

崇弥:覚さんの活躍が覚さんの人生だけでなく、障害がある当事者だったりご家族だったりにも希望を与えるものだと思います。アートからさらに派生して、飲食店で働く障害のある方者が盛岡の一等地で働くのが当たり前になるような、そんないろんなきらめきを、覚さんの創作が切り拓いていくんじゃないかって思います。

覚さん:こうだと、思い、ますよね。

崇弥:いいよね。頑張りましょう!

小川:これからも覚さんの作品と、作品が切り拓いていく未来を楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました!

text 赤坂智世

小林覚 Satoru Kobayashi

るんびにい美術館(岩手県花巻市)在籍。

好きな音楽家はビリー・ジョエル、クイーン、井上陽水、スピッツ、THE BOOM。そして散歩が大好き。小林は養護学校中等部の在学中に、日記も作文もすべての文字を独特の形にアレンジして書くようになった。初め学校の先生も何とか直せないかと苦心したが、やがてこれを魅力的な造形表現ととらえることに切り替える。これを転機に、彼の表現は多くの人に喜びを与えるアートとして羽ばたき始めた。

『HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜』は無料で配信中

「アートから想像する異彩作家のヒストリー」をコンセプトに、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄やこれまでの人生に触れる番組です。

役者・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥の2名がMCを担当。毎回、ひとりのヘラルボニー契約作家にフィーチャーし、知的障害のある作家とそのご家族や福祉施設の担当者をゲストにお迎えしています。

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