写真と線が出会うとき 展覧会「遠い近さ ― 松岡一哲とやまなみ工房の宇宙」特別トークイベント【前編】
2025年秋、HERALBONY LABORATORY GINZAで開催された展覧会「遠い近さ ― 松岡一哲とやまなみ工房の宇宙」
本展覧会は写真家・松岡一哲の作品に、やまなみ工房の4人の作家――吉田陸人、井野友貴、大路裕也、NANA――がドローイングを施した共同制作の作品展である。
写真家・松岡一哲は、ファッションやポートレートを中心に、被写体の内側に宿る光や温度を丁寧にとらえる作品で知られる。
人と人のあいだに生まれる“距離”を見つめてきたその眼差しは、滋賀県・やまなみ工房の作家たちが紡ぐ表現と深く響き合った。
この日、会場で行われたトークイベントには、松岡一哲、やまなみ工房の施設長・山下完和、作家の吉田陸人と井野友貴、そして企画を手がけたヘラルボニーの朴里奈(ぱく・りな)が登壇。
写真と絵、アートと福祉。異なる世界が交わる瞬間を語り合った。
■ 出会いと企画のきっかけ

朴里奈(以下、朴):まずは今回の企画のきっかけからお聞きしたいと思います。松岡さんと滋賀県にある、やまなみ工房、どのようにして出会ったのでしょうか?
松岡一哲(以下、松岡):最初は別の取材で、かなり前にやまなみ工房に伺ったんです。そのときから、いつか一緒に何かできたらいいねって話をしていて。でもなかなか機会がなくて。そんなときにヘラルボニーの朴さんから「HERALBONYで一緒に何かやりませんか」と声をかけてもらった。それがきっかけでしたね。
朴:ずっと松岡さんの写真が好きで。松岡さんの眼差しに、ずっと惹かれていました。初めてお会いしたとき、松岡さんの作品だけではない、人柄までも、やまなみ工房の世界と響き合うかもしれないと感じて。勝手に「この出会いは必然だ」と思ってしまったんです。でも、まさか本当に実現するなんて……今でも少し夢のようです。
山下完和(以下、山下):最初にお話をいただいたときは正直、何が起きるのか分かりませんでしたね。「プロの写真家の写真の上に絵を描く」と聞いて、ちょっとドキッとしました。教科書に落書きしてしまうような感覚というか。でも松岡さんが「いいんですよ、描いてください」って言ってくださって。そこから、みんなの中で何かがほどけた感じがしました。
写真の上に描くということ
「Untitled #1」
Photo by Takumi Kimura(HERALBONY)
朴:写真家にとって、自分の作品の上に絵を描かれるのって、少し勇気が要りませんか?
松岡:そうですね。でも僕は彼らのことを「障害のあるアーティスト」としてではなく、“絵がすごくうまい人たち”として見ていました。だから迷いはなかった。むしろ、どんな風に混ざるんだろうっていうワクワクの方が大きかったです。
山下:私たちスタッフから見ると、やっぱり「絵を描く」っていう行為が生活の延長線上にあるんですよね。彼らにとってはアートというより“遊び”とか“日課”に近い。だから、松岡さんの写真に描くことも特別じゃなくて、「描いていいなら描くよ」くらいの感覚だったと思います。
松岡:それがすごくいいですよね。社会的な意味とか評価とかを全部すり抜けて、ただ描く。僕の写真に描かれたものを見たとき、“うまい” “綺麗”というよりも、“世界がちょっと違って見える”って思いました。
三段階で深まった対話のプロセス
※上記の大型作品は、松岡さんがやまなみ工房を訪問した際に撮影した“下駄箱”の写真の上に、吉田陸人がドローイングした作品「Untitled #26」
朴:制作のプロセスは、三段階に分けて進めましたよね。
松岡:最初は、手持ちの写真を数十枚送ったんです。その中から、作家さんに好きな写真を選んで描いてもらう。二回目は、その反応を見て“相性のいい写真”を選び直して送って。三回目は、僕が実際にやまなみ工房に行って撮影した写真と、さらに追加の写真とで、自由に描いてもらいました。
山下:大きな作品は、床に置いて、吉田と井野で笑いながら、時々ふざけながら描いていましたよ。集中すると一気に静かになるんですけどね。その時間がすごく心地よかったです。
朴:陸人さんと井野さん、描く時間はどれくらいだったんですか?
山下:描く時間は1日だいたい1時間ちょっとくらいです。途中で笑いすぎて中断することもありましたけど(笑)でも、その“余白”がすごく良かったんです。お互いのリズムが合ってきて、描くこと自体が会話になっていった感じでした。
タイトル「遠い近さ」に込めた思い

朴:今回の展覧会タイトル「遠い近さ」この言葉は松岡さんが考えて、命名してくださいましたね。
松岡:言葉のコミュニケーションが難しい相手でも、トーンとかリズムで分かる瞬間ってありますよね。それが“遠い近さ”だと思ったんです。理解できないままでも、なぜか近い。その距離感が、僕にとっては一番信頼できる。
山下:私も、まさにそれだと思います。やまなみ工房で働くスタッフも、相手を“理解しよう”と力むことがないんですよ。ただその場を一緒に生きる、それだけ。だから、近づきすぎない優しさがある。
朴:ヘラルボニーも同じです。 “理解される”ことより、“感じてもらう”ことを大事にしているので。この「遠い近さ」という言葉は、私たちの活動の核にもつながるように感じました。
あえて“名づけない”

朴:展示では、作品にタイトルをつけず「Untitled #01」などの番号で展示されていますね。
松岡:僕一人の作品じゃないから、僕の言葉で名づけることはしたくなかった。名前を付けると、それだけで意味が固定されてしまう気がして。だから、あえて“名づけない”展示にしました。
山下:タイトルがないことで、観る人がそれぞれに感じられる余白が生まれたと思います。
手放すことから生まれる美しさ
松岡:このプロジェクトを通して学んだのは、“手放すことの強さ”かもしれません。僕、最近信頼している方に「もうちょっと浮力で浮かんでみたら」って言われたんですよ。頑張るんじゃなくて、少し力を抜いたときに、見える景色があるなって。
山下:まさにそれですね。私たちも、彼らの表現に“手を加えない”ことを大事にしてきました。信じて任せることが、支えることなんだと思います。
朴:作品の中に、そんな“信頼”の空気を感じました。線と写真の間にある余白こそ、まさに“遠い近さ”の象徴かもしれませんね。
イベントの終盤、松岡は静かにこう言った「この展示は、たぶん完成していないんです。彼らが描いた線と、僕の写真が交わったことで始まった“対話”の途中。これからも、ずっと続いていくと思う。」
写真とドローイング。
アーティストとアーティスト。
福祉とアート。
その間に生まれた「遠い近さ」は、今も作品の中で呼吸し続けている。
(後編へつづく)
【展覧会情報】
展覧会「遠い近さ」ー松岡一哲とやまなみ工房の宇宙ー
HERALBONY LABORATORY GINZA Gallery
会期:2025年10月24日(金)〜11月24日(月)
場所:HERALBONY LABORATORY GINZA Gallery(東京都中央区銀座2丁目5−16銀冨ビル1F)
営業時間:11:00〜19:00
定休日:火曜日(祝日の場合、翌日)
文・構成・ 編集:ヘラルボニー 朴里奈
写真提供:野口花梨
【アーティスト紹介】
吉田陸人
井野友貴
松岡一哲


